高校時代の受験失敗~大学入試と浪人決断編~
おはようございます!
高校時代の受験失敗、完結編になります。
前回のおさらいとしては
・センター試験で大失敗
・志望校の変更・出願校の決定
ということでした。
出だしで大コケした私の1度目の受験ですが、ここから一縷の望みに全てをかけ、巻き返しをはかります。
それでは、私大受験から見ていきましょう。
早稲田大学入試
さあ、センター試験が終わるまでは一切頭になかった早稲田大学文化構想学部、国際教養学部の受験勉強が始まりました。
それまでは京大志望だったけど早稲田大学生ってのもかっこいいなぁ。
なんてことを考えながら意気揚々と教材を購入
すると文化構想学部の赤本を開けてびっくり
まあ英語の難しいこと....。
日本史もマニアックな問題が多く、国語も思ったように点がとれない。
国際教養学部の赤本を開けてさらにびっくり
英語リスニングの問題文も選択肢も全て英語!?!?
そんな問題今までやったことない....。
英語のリーディングも当然のように難しい。しかも英語の配点が高い。
得意の日本史や国語もそこそこ点は取れるが決して安定はしなかった。
そんな感じで、前日入りし2/11~13、2泊3日でいざ東京へ
そしてやってきました早稲田大学!!!
これは試験前日の下見で撮った写真です。
このキャンパスに毎日通えるようになれればかっこいいだろうなぁ....
そんなことを思いながら眺めていたのを思い出します。
入試に緊張しながらも直前まで知識を詰め込み、いざ本番!
この時のことは正直あんま覚えてません。(笑)
ただ2日間とも終わった後には緊張から解放され、受験生たちを見守る大隈さんを尻目に、ひたすら無事試験が終わったことに安堵の表情を浮かべながら帰ったことを覚えています。
結局、英語リスニングは確実な解答がほとんど出来ず、この入試全体でフワッとした解答が多かったような気がしました。
国際教養学部はもちろん、「ひょっとしたら奇跡的に合格あるのでは?」と思っていた文化構想学部も、Webでの合格発表に私の受験番号が載ることはありませんでした。
二次試験を前に結果が発表されたので、意気消沈しつつも大人しく二次試験の勉強に専念することにしました。
ですがこの時既に、早稲田大学に翌年度必ずリベンジしたいという思いが芽生えていました。もう浪人を決意していたといっても過言ではなかったでしょう。
この時に抱き始めた東京への憧れが、翌年の進路選択に繋がることになるのですが、それはまだ先の話になります。
広島大学入試
この受験についてはあまり話したくありません。(笑)
なぜかというと自分の中で既に気持ちは浪人に切り替えており、あまりモチベーションが上がらなかったからです。
大学が問題とかいうわけではなく、東京への憧れや、受験を仕切り直すという選択肢がより魅力的に映ってしまったことが、当時の私のモチベーションを著しく下げていました。
そしてこれは本当に自分のダメなところだと思うのですが、そうなってしまうと最後まで頑張るということが出来ないのです。
もちろん、ほぼ毎日高校の自習室に行って最低限のことはやっていたつもりでしたが、それ以上のことは出来ず、全然身が入っていませんでした。
1日10時間以上二次試験対策とかやっていれば、まだ勝機は見えたかもしれませんが、その状態では不可能でした。
学校では友達とつい長話をしてしまったり、ついスマホに手が行ってしまったり、挙句の果てに前期試験へと旅立つ前日に、古本屋で2つの漫画の単行本をセット買いしてしまいました。
後期試験の面接の際は、私以外は全て制服なのに私服で受けてしまうという凡ミスをやらかす始末でした。
これらについて、本当に両親や先生たちに申し訳なく思います。
一応、やるからには最後までやり抜くということで、前期も後期も筆記試験では粘り強く解答を仕上げたつもりではあるものの、センター試験での大きな後れを取り戻すことは出来ませんでした。
こうして、合格実績を一つも残せないまま1年目の受験を終えることになりました。
浪人生になる決意
上の早稲田大学入試のところでも書きましたが、早稲田に落ちた時点で浪人はほとんど決めていました。
高校の友達で、浪人する人はほんの数人しかいませんでしたが、本当にありがたいことに両親が浪人することに協力的だったり、親の経験談も聞いたりしていたので、意外とすんなり割り切ることが出来ました。
浪人生生活が始まるまでを束の間の休息とし、3月末までは高校の卒業生としてある程度は遊ぶことにしました。ある程度勉強もしろと親にも言われていましたが、ほとんどやってなかったような気がします。(笑)
そして新たな4月から、河合塾名古屋校にて、浪人生としての生活がスタートしていくわけです。
とても長くなってしまいましたが、そのような経緯で私は大学受験2年生になる道を選んだのです。
これで高校時代の話は完結ということで、とりあえず今回はここまでです。
これからどんどん浪人時代のことについて、あれこれ書いていこうと思うので、改めてよろしくお願いします。
高校時代の受験失敗~絶望のセンター試験編~
こんにちは!
前回はちょっと脱線した話をしました。
今回は話を戻していきたいと思います。
私が浪人した経緯の話の途中だったと思います。
前回のまとめとしては
志望大学を京都大学人間総合学部に決めたが夏以降成績は右肩下がり
ということでしたね。
受験シーズンを迎えたところまで書いたと思いますが、今回はその受験シーズンについて書いていこうと思います。
絶望のセンター試験
いよいよ大学入試のスタート。
夏以降、成績が下がる一方だった私ですが、センター試験の日にその成績推移のどん底が来てしまいます。
結果を見てもらった方が早いと思うので次にあげたいと思います。
英語:124 / 200
リスニング:46 / 50
(英語換算):136 / 200
数学ⅠA:74 / 100
数学ⅡB:27 / 100
現代文:78 / 100
古典:26 / 50
漢文:31 / 50
(国語合計):135 / 200
日本史B:63 / 100
倫理・政経 :66 / 100
生物基礎:31 / 50
地学基礎:27 / 50
合計:559 / 900 (62.1%)
ここで自分史上最悪の結果が出てしまいました....。
いい点がとれなかった以上に悲惨な結果でした....。
試験中も、簡単だったはずの数学ⅠAでも、何問かは問題用紙に解答を書き込むだけしてマークし忘れるなど、普通では考えられないようなミスを連発してしまった。
数学ⅡBが超難化した年とは言え、今までの自分と比べてリスニング以外の教科全てで不本意も不本意な点数でした。
完全にセンター試験の空気に飲まれてしまった結果になったわけであります。
「甲子園には魔物が棲む」と言いますが、センター試験会場にも魔物は棲んでいるということを痛感した一度目のセンター試験でした。
この結果を受け、
どこかで思っていた、「学校の授業は寝てしまっても自分で勉強すれば大丈夫」という謎の自信
「多少勉強しなくても自分は土壇場になればやれる」といったような根拠のない自信
「多少センターの得点が悪くても、自分は二次試験向きなので挽回できるだろう」という思い上がり
それら全ての甘い考えは吹き飛びました。
そもそも京大を受けるどころか、大学入試をする以前の問題だったように思います。
出願校の変更
もちろん、当時私は京都大学への強い執着心を持っていたつもりでいました。
しかし持っていたのはそれだけでした。
そもそも私は、模試の結果的にも実力的にも京大はおろか難関大を受けられるような学力ではありませんでした。
京大志望っていうと、友達にもイジられるような感じでした。(笑)
今思えば、友達にイジられたとき、自分でも半分ネタにしているような感覚でいてしまっていたと思います。
それだけ覚悟が足りていなかったのです。
父が浪人経験者で、かつ家庭が浪人に対して前向きだったこともあり、心のどこかで自分は浪人するんだろうと思っていたようです。
そんなこんなで、相応の学力も覚悟も持たないまま、模試でどれだけ成績が上がらなくても、京大志望を続けていました。
しかしその結果がセンター試験に表れてしまいました。
この点数に愕然とし、さすがに現実を見ることにしました。
やっと目が覚めたような感覚でした。
こうして私は京大受験を諦めました。
自分の現状を見定め、身の丈に合った進路を考え直すことを決意しました。
とはいったものの........
つい最近まで京都大学を受験する気満々でいたのです。このセンターの点数でよい判定の出る、受かりやすい国公立大を受けることには自分で納得できませんでした。
そこで、ほんの少しぐらいは二次試験で逆転できる可能性のあった上位国立大学
前期で文学部、後期で人間科学部を受けることにしました。
私大については、浪人覚悟であり、もともと順調に行けば京都大学一本にしようとしていたので、私立大学を受験するつもりはもともとありませんでした。
京大がダメになり、広大も極めて希望薄の状態であったため、センター後一ヶ月しか猶予はないが、
の文化構想学部、国際教養学部を大きな目標として据えることにし、気持ちを入れ直し勉強し直すことにしました。
とても身の丈に合った選択とは言えない二つの大学を受験することになったのですが、長い目で見て良い選択だったと思います。このことについてもまたいつか詳しく書いていきたいと思います。
センター試験はまだ受験のはじまり
ここから2月の私大受験、国公立大学二次試験へと受験は続いていくことになりますが、その続きはまた次の記事で書いていこうと思います。
さて、浪人についてのブログであるにも関わらず、現役生時代のエピソードが長引いてしまっています(笑)
軽い概要のような形で終わらせようと思っていたのですが....すみません....。
でもそれだけ書くことが沢山あるということなのです。
どうでもいいことも書いていますが....(;^_^A
次回で高校編は終わらせたいと思いますので、よろしくお願いします。
木蘭のヘッダー画像
高校受験の話の途中だったと思いますが、現役時代のセンターの点数を思い出している途中なので、少し話は変わります。
ヘッダー画像を設定してみました。
画像と被ってタイトルが見にくくなっていると思います。タイトルの色の変更の仕方を色々調べてみたのですが、うまくいく方法がなかなか見つからず、とてもややこしそうなので、また時間のある時にでもじっくりと調整していきたいと思います。
何かいい方法を知っているという方はコメントくださると助かります(^-^;
さて、このヘッダー画像についてですが、このブログのテーマの一つである「大学受験」、「進学」にまつわるものにしてみました。
皆さんは「大学に合格した」とき、イメージする花は何でしょうか?
春といえば、いったい何の花を連想するでしょうか?
多くの皆さんは桜と答えるに違いないでしょう。
「第一志望に合格し、満開の桜が咲き誇った。」なんて表現もあります。
あくまでイメージですが。(笑)
しかし画像の花は桜ではありません。
花にお詳しい方はお気付きかとは思うのですが、この花は
木蘭
です。多分。(笑)
ちゃんと確かめてないので間違ってたらすみません。(笑)
スターダストレビューさんの名曲『木蘭の涙』、大好きなんですよ。。
人と人の別れを歌う歌詞が、ハスキーかつ透き通った歌声に乗せて、どこかもの悲しげに歌われていて、たまらないんですよね。
あくまで私の個人的見解ですが。
しかしそんなことは関係ありません。
この木蘭は、大学合格後、入学前の下見に行った際、入居する予定だった平砂学生宿舎の共用棟に綺麗に咲いていたものです。
満開に咲いていたこの花が私の入学、入寮を祝福してくれているように感じました。
浪人生として一年間頑張った後、とても報われたような気がしました。
私にとって、そんな浪人からの入学を象徴するような木蘭の花を、ヘッダー画像として使用させてもらいました。
まあこんなに語っておきながら、この花が木蘭じゃなかった時はとても恥ずかしいのですけどね。(笑)
何気ないことですが、この記事を読んで、「へ~、そんな思いが隠されてるのか~」ぐらいに思っておいてもらえたら嬉しいです。
次回こそはセンター試験について書いていこうと思います。
高校時代の受験失敗~入試への道のり編~
のんびりゆったりやろうとは思っていますが、やるからには閲覧数とかも気にしようと思っているので、とりあえず記事の数を増やしていきたいと思います。
まず最初に、高校時代、私が浪人するに至った経緯を書いていこうと思います。
数年前のことなので、ところどころあやふやな部分はあると思いますが、ご了承ください。
現役時代の志望大学決定
私が通っていたのは県内屈指の進学校で、その中でも私は文系の上位の成績でした。
部活は器械体操を高校3年生の高校総体までずっとやっていましたが、高3春の模試まで成績は順調でした。
また部活と受験の兼ね合いについても別の記事で書きたいと思います。
さて、順調とは言うものの、前の記事でも書いた通り、現役時代の志望は京都大学総合人間学部です。その順調な成績をキープしつつさらなるジャンプアップが必要でした。
高1のときに見学に行ってから何となく模試の志望大学の欄に書き続けていた大学ですが、高3春のマーク模試ではC判定が出ました。
この学部は二次試験重視で、センターは社会二科目と理科の点数しか換算されず、模試でたまたま社会と理科がよかっただけなのですが、このC判定を自信にし、部活引退後の爆発力に期待しようと思い、志望大学を決定しました。
伸び悩む成績
5月末の部活引退後少しの間は切り替えられませんでしたが、夏休みには河合塾名古屋校の夏期講習を受講し、自習などもきちんと行い、模試でもマークの換算点690程度(素点は覚えてないので、すみません≻≺)と、難関大学を受けるのにはまずまずの成績を残しました。
部活を引退まできっちりやった高校生は、ここから爆発的に成績が伸びるのが理想的なのでしょう。
しかし、先に言っておきますが、春以降京都大学はE判定以外出ることはなく、高校時代はここから成績が伸びることは一切ありませんでした。
夏休み明け、高校の文化祭に、部活でもクラスでも、と全力投球をしてしまい、燃え尽きてしまったのです。
そこから勉強はし続けていたものの、どこか身が入りませんでした。
目指すべきゴールがあまりにも遠く、具体的な成功のビジョンが見えなかったからか。
模擬試験も戦略的に受けたり、センターと二次試験の勉強も計画的に進めてはいたのですが、それでも成績は右肩下がりの一途を辿ってしまいました。
そして、そのように歯車がかみ合わなくなり、方向を見失ったまま、ただ無謀な目標だけを抱え、受験シーズンを迎えることになる。
そして、さらなる悲劇が私を襲うことになるのですが、長くなってしまうので、続きは次回の記事で書きます。
一旦失礼します。
軽めの自己紹介
まずは軽く私の自己紹介から入りたいと思います。
・名前:なみと
本名ではありません。浪人を訓読みしてそう読ませました。
しょうもない由来ですみません。
・出身:東海地方
詳しくどこかは言いませんが、隠しているわけでもないので今後の更新とかでバレるかもです。
・予備校:河合塾名古屋校
名古屋駅裏の二つあるうちの新しい方です。
一年間通わせていただいていましたが、勉強するのにとても快適な環境でした。
・分類:文系
受験期は主にどちらかというと社会学や法学より、文学や人文学よりの学部の受験で考えていました。
・好きなこと:野球、器械体操、音楽など
ここらへんはおいおい書いていけたらなと思っています。
こんな感じですかね。
ちなみに受験生のときの第一志望は、現役時代が京都大学(笑)、そして浪人してからは筑波大学または早稲田大学でした。
そこについては、次回以降の記事で触れていけたらなと思います。
ブログ始動のご挨拶!
こんばんは!そして初めまして!なみとです!
現在筑波大学に通っている大学生です。
自分の将来にとって何かプラスになることはないかと考えていて、大学の先輩にオススメされたので始めてみました!
ブログを書くにあたって、私には何があるのだろうかと自分の20余年の人生を今一度振り返ってみました。
その中で、最も濃かった一年を、特にピックアップして書いていこうと思います。
その一年とは、
浪人時代です
高校三年生で国公立も私大も全落ちし、そこから一年後、筑波大学に合格するまでの一年間の浪人時代の経験やら、あれやこれやを中心に書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。
あとたまに単に思ったこととかどうでもいいことも書き込むこともあるので、悪しからず。
ちなみにブログ名の由来は私が大好きだったTBSドラマ、『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』の主題歌、THE RiCECOOKERSさんの『波のゆくさき』からもじらせていただきました。
「浪人生という無所属で不安定な存在はまさにさまよう浪のよう、私という浪は一体どこへ向かっているのだろうか」
恥ずかしながら、そういった当時の思いからネーミングさせてもらいました(;^_^A
こんなイキったブログ名ですが、温かく見守ってもらえればありがたいです。
そして少しでも、これから浪人しようか迷っている受験に失敗した人達の決断の、一つの参考、手助け、後押しになればとても幸いであります。
これからよろしくお願いします。